XYXYXX (終章)



 2010年冬。寒い日だった。
 俺は昼からざわついた雰囲気の劇団事務所にいた。
 ナラサチ、イズミ、例によって彼に着いてきたヒノデ、和田、小島、そして加納らもそれぞれ事務所内で座ったり立ったりしながらそわそわしている。制作スタッフが出たり入ったりするのはまだ分かるが、取引先や知り合い、仲間までがいつの間にか入り込んでいるのは何故だ。確かにこの一年で劇団プールの持つコネクションはかなり広がったが。
 それこそ選挙事務所のようだった。混沌とした雰囲気の中に、なんとも言えない緊張があって、みな、与太話をしたり携帯をいじったりしながら、どうにも上の空だった。シアターARC演劇賞の審査会から、今日あたりに結果の通知があると連絡があったためだ。
 最初の連絡は1月の中頃にあった。観客投票を終え、候補に上がった劇団に通知がされ、その後何度かの連絡のうちに今日のことが知らされた。
 しかし『今日』と言っても、朝なのか昼なのか夜なのかも分からない。結果が出次第だそうだ。初の投票制度の導入で向こうも手間取っているのかもしれなかった。
 仕方ないので朝から事務所でうだうだしていたら、なんだか人が集まってきて、しかも知り合いのスタッフや後輩などから「どうですか?」なんて様子見のメール、電話まで来る。
 次第に疲れてきてしまった。
「俺ちょっと寝る」
 事務所の奥に置いてある長椅子へ移動して、横になった。足がはみ出るので、膝を立てる。寝癖がつくかもしれないが、もう知らん。
 横になっても寝付けないであれこれ考えていたら、ふっと影が差した。目を開けると、イズミが立っている。
「ご一緒にいいですか」
 そんなことを言っても、二人が横になるほどのスペースはないけど、と思っていたら、身振りで上体を起こさせられた。彼は端に座り、手と顔で「どうぞ?」と来る。
「……」
 さすがに恐縮した。彼もぬけぬけとやるわりには顔が赤い。
 でも、もういいやと思って、そこに寝転がった。彼の膝の片方を枕にして。
 なんだって人間の体はこう気持ちがよいのか。本当に、全部忘れて寝てしまいそうだ。
 イズミは携帯で何か見ている。
 何見てるの、と聞いたら、幸せそうに笑って「ファンのブログー」と言った。このえへへ笑い(=^^=)は二次創作を読んでる時のそれだ。
 イズミはこういうのを読むのが好きだ。ハーレクインとかティーンズラブとかそういうのももれなく好きだ。時々ブックオフに行って大量に仕入れてくる。
 俺も最初は自分の部屋にすごいタイトルの単行本が転がっていることに違和感を抱いたが、もう慣れた。ファンの二次創作の作中で、俺が言った(ことになっている)台詞について「ちょっとお、ひどくない?!」と言ってこられるのには閉口するが。
 分かっている。これは彼なりの、自分をあやす方法、緊張をほぐして自分を守る方法なのだ。邪魔しないで、俺も彼の膝のぬくもりのほうへ意識を集中させることにする。
 ひらりと左手が下りてきて、俺の方から首の下へ緩やかなくの字を描いて止まる。
「メイクの先生からメール来たよ」
「ああ、俺にも来た。気遣いの人だよな」
「優しいよね。――あのさ、半井さんからも来たよ」
「ふーーん」
「怒った?」
「いや、別にい? あそことウチがシアターARC演劇賞を争ってるのに、神経が太いなーと思うだけ」
 嫉妬丸出しで言ったから思った通りに苦笑される。
 ちえっと思って、彼の手を触ったら、声が降った。 
「電話って、受賞でもダメでも来るの?」
「うん。らしいよ」
「どうだろね。受け入れられるかなあ」
 それは、軽くて、ニュートラルで、本当にイズミそのものと言った声で、初めて彼と会話をした時とちっとも違っていない。
 誰にも迷惑をかけないように、軽く、物欲しげにならないようにしながら、それでも望みを心に抱いている。
 目を閉じて、指で彼の手を撫ぜながら答えた。
「どうかなあ」
 返事はかなり遅れてあった。
「どうですかねー」
 歌うように。
 俺も応じた。
「どですかなあー♪」
「いけるかなー」
「いけませんかー? いけませんことないですかー?」
「あははははは」
 他愛ない笑み。


「きっと大丈夫だよ」
 俺は目を閉じたまま、やがて言った。
 イズミもうん、とうなずく。
「タクくんもそう言ってた」



 パーティションのそばに、誰かが近づいてくる気配がする。
 多分ナラサチだろう。
 俺と彼は静かにそれを待った。
 彼女が顔をのぞかせ、
「コウ、電話だよ」
 というその時を。




(終わり)





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