XYXYXX (3) ああ。お前は自分が誰なのかまだ知らないんだね。 俺たちは海王星から来たんだよ。 海みたいに青い星だ。太陽系の果てにある。 俺たちはエイリアンなんだよ! 乾巧作「ブループラネット」より 「巧」 ナラサチの手が俺の肩をとんと押した。 彼女は俺の体にほとんど触らないが、触れる時は、兄妹とか男子学生同士のように割と乱暴にやる。 痛くはないし怒りもしないが、とりあえず今回もおどろいて俺はナラサチを見上げた。 彼女は立ったまま、俺のほうに身をかがめる。傍目にはたぶん、新作について話し合う演出と副演出に見えたはずだ。 しかし、テーブルに片手を突いた彼女が囁いたのは一語だった。 「見すぎ」 鼻先で両手をぱちんとやられたような感じで、俺はとりあえず背もたれに体重をかけて、困惑をごまかしつつ視線を一緒に引き上げた。 ナラサチはすぐに離れて行った。その体がなくなると、その奥に今度は加納が座っていて目が合った。 彼女までが、訳知り顔で微笑みながら眼鏡の前に右手を挙げて、人差し指と中指で自分の両目を突くような仕草をする。俺は奥歯を噛んでとうとうまぶたを閉じ、顔を伏せた。 稽古場だ。今日は出来上がった新作の本読みのためにスタッフのチーフと出演が決まっている役者を集めていた。 一度目の音読が終わって、ナラサチから一旦休憩の号令がかかったところだった。俺もそれを聞いたと思うのだが、その後もしばらく、彼女に小突かれるまでの間、席でぼうっと一点凝視していたらしい。 休憩はじきに終わって、また本読みが始まった。 俺は一生懸命気を付けた。隣に座るナラサチと、斜め向かいに座った加納が気づいたということは他の誰からでも見てとれたということだ。 ロの字型になったテーブルにつき、順調に、淡々と進んでいく読み合わせの最中、ついある方向を――林日出の座っている席を見すぎてしまわないよう気をつけた。 ところが、結局本読みが終了して、エチュード練習のために役者たちが一旦ばらけた際、またしても何気ない風にこちらに身を寄せたナラサチが今度はこう囁くのだ。 「盗み見しない!」 狼狽して加納のほうへ視線を泳がせたら、彼女は姿勢正しく座ったまま、眼鏡の奥でただ目をぎゅっとつぶっていた。 (>_<) とにかく、俺という人間は、自覚している以上にいろいろ顔に出るようなのだ。 気づかないうちに独り言もよく言っているようだし、喜怒哀楽が分かりやすいと言われたこともある。自分ではむしろ無表情なほうだと思っているのだが、ナラサチや加納に尋ねたら首を左右に十回くらい振るのではないだろうか。 俺自身、一度『天球社』の千秋楽で舞台挨拶をする自分のビデオ映像を見て、思っていた以上に歯茎を剥いて笑っているので恥ずかしかったことがある。 そういう経験も踏まえて、特に公の場では過剰な振る舞いがないように自律しようという意識はあるのだが、何かに気を取られていると忘れて素が出てしまうようなのだ。 現状、俺は林日出が台詞をしゃべるたびに惹きこまれ、彼をじっと見つめてしまうのを止めることができなかった。 ただ、弁解をしたい。 彼は役者として素晴らしい資質を持っている。まず顔がいい。非常に整っていて、彫りが深く日本人離れした容貌だ。 加えて声がいい。外見の印象より低くて深く、しかも個性のある声なのだ。一度聞けばすぐに耳につく声。且つ、滑舌がよく、音楽的だ。 そして演技もうまかった。 目立つようなうまさではない。力が抜けすぎていると感じる向きもあるかもしれない。 確かに優等生的ではない。ある価値観に対して媚びるような、そういう方向性の演技ではない。 逆に、うますぎて、価値が分からないタイプの演技だ。職人のような演技なのだ。百回聞いても不快ではなく、百一回目も見られる類というか――今の今まで『天球社』で才能を見出されてこなかったのが不可解なほどだ。 俺は彼を褒めたかった。彼の才能についてたくさん話をしたかった。ただナラサチは慎重だった。ブレーキでもかけるように俺を横目で見ながら、「たしかにそうだね」と才能については認めつつ、言う。 「ただ、やる気があんまない。だから『天球社』では浮上してこなかったんだよ」 「大所帯ですからねえ、あそこは」 と、口を添えるのは加納の隣に座った小島だ。 新人公演で主役をはった役者で、社交性があって頼りになる二枚目だ。自己中心的ではなく周りを見る目があるので、演出部のそばにいて全体的な話にも加わることも多い。 ちなみに打ち上げの居酒屋で俺の演技をクサした人間でもある。元天球社の人間ではないが、何度か客演でかかわっている(そこで俺とも知り合った)から、事情はある程度承知していた。 「俺の記憶だと、台詞をなかなか入れなかったように思います。今はホンを読んでいるからいいけど、立ちに入った時はどうかな。稽古の時も、あんまり集中してなかったような……。まあ見るからに熱血野郎って感じじゃないですけど」 「――ていうか、それどころじゃなくない?」 「ん?」 ナラサチが滑らせた視線に、俺と小島と加納が従って稽古場の隅を見ると――伊積陽生@ワカメ頭が、そのヒノデに、水を飲ませていた。 本当に飲ませているのだ。ペットボトルの水を伊積が持ち、彼の横に立ち、ふたを開き、口元へ持って行って『はい、あーん』とやっている。 目を疑う眺めだが、ヒノデはさも当然と言わんばかりに口を開き、上手に当てられたペットボトルの丸い口から水を飲む。 「もういい? もうちょっと飲んどきな?」 伊積が言って、一息ついたヒノデに再び飲み口を差し出す。 結局ヒノデは一度も自分ではボトルに触らずに水分補給を終えていた。 伊積はハンカチで彼の口元をぬぐってやることまでしていた。こういう光景を見たことがないではないが、まず児童公園の母子くらいじゃないだろうか。 今回ばかりは俺自身も『なにやってんだあいつら』という顔をしたという自覚があった。ていうか四人ともみんなしていた。他にもびっくりしている人間がいた。 こちらに戻ってきたナラサチの顔の眉間に盛大なシワが寄っていた。 「ヒノデが彼のこと時々『兄さん』って呼んでるんだけど、別に兄弟じゃないよね?」 加納はさらさらと音を立てて頭を振る。 「違うと思いますけど。学年も一緒のはずです」 というか兄弟でもあんなことはしないだろう。 「相当仲がいいみたいね」 「それは間違いないです。あんな調子で、いつも伊積が彼の面倒見てますよ。来るときも帰るときも大抵一緒ですしね。さすがにちょっとどうなっているのかなあと思いますよね」 と、小島。 ナラサチは腕を組んで苦笑いだ。 「クセの強いメンバーができたなあ。ま、おもしろいっちゃおもしろいけど」 ははは、と笑い合う彼らのそばで俺はまだ、遠い二人から目を離せずにいた。見せ場は終わっていなかったからだ。 ヒノデは水を飲み終えると、ふらりと遊星のようにどこかへ離れていった。伊積がそれからどうしたかと言うと、そのペットボトルを自分の口に運んで、今度は自分が飲んだのだ。 蓋はその間手に持ったまま、飲み口を拭きもしなかった。 ヒノデのほうが伊積よりも背が高い。だが、本当にまるで児童公園の母子のありさまではないだろうか――。 伊積が俺の凝視に気付いて、まず目を丸くし、次にくすっ、というか、へらっとした。 というより、これまでヒノデが一貫して無反応だったことのほうがどうかしているのだ。彼は俺のほうを見返すどころか、視線に気がついたそぶりもなかった。俺の側にいたナラサチや加納はすぐ分かったのに。 伊積は何を思ったのか、俺に向かって「わーい」と笑いながら手をぱたぱた振った。小学生みたいだった。 俺の無反応を見てとるとエスカレートした。 「コウさーん。キャー!」 ぜんたい、あの男には恥というものがないのだろうか。どうしたらあんなワカメ頭で街が歩けるものだろうか。そもそも美容室でオーダーできるものだろうか。 俺は無言で目を反らした。 夜、世話人の伊達さんが稽古場にやってきた。 俺たちはエチュードをしていたのだが、いったん休止して十五分休憩とした。 伊達さんにはあらかじめ台本をメールしてあった。それに対するフィードバックがあるはずだったから、役者以外のスタッフを全員集める。 伊達さんも『天球社』OBだから、初めての顔ばかりではない。集まった面々に知った顔を見つけて破顔する。 「お! 加納。久しぶりじゃん!」 「お久しぶりです。今後ともよろしくお願いいたします」 「こちらこそ。お前が来てくれたらコウも心強いよ! でも意外だったな、お前が『天球社』を出るなんて。向こうは困ってるんじゃないのか?」 「――それで、伊達さん、どうでしたか?」 「おう。今日、本読みしてみたんだろ? 書いてあった仮キャストで。問題はなかったか?」 「特には。でも修正はまだ全然できます。というか、します。遠慮なくおっしゃっていただければ」 もう窓の外は暗かった。黒い窓は鏡となって内部の俺たちを映していた。 「――いや、正直、かなりいいと思う」 予想していたよりも強い言葉で、はっきりと伊達さんは肯定してくれた。 俺は心底ほっとする。今回は前に比べて時間をかけて台本を書いたし、推敲も繰り返した。自分でも悪くないとは思っていたが、彼がGOを出さなければ絶対に書き直しだった。 次の公演のクオリティについては彼が保証すると、旗揚げ公演直後の居酒屋で彼が全員に約束したからだ。 「前のに比べると、構成もがっちりしているし、物語もいい。魅力のあるホンになってると思う。新人が入ったみたいだけど、何かいい刺激があったのか?」 俺が『アテ書き人間』もしくは『実在のモデルが必要』人間だということは結構知られているようで、伊達さんは答えでも探すように稽古場を見回そうとする。 俺はわけもなく恥ずかしくなって言葉を濁した。 「まあ、はい」 「ただ、ひとつだけ。地味だ」 「――」 目を上げた。 「良質で、よくできてる。ただ、エンターテイメント性に乏しいと思う。前の芝居もそうだった。全体に派手めに演出を盛っていく必要があるし、可能なら何か要素を追加すべきだと思う。そうしたら十分客が呼べる質だ、今回のは」 それから伊達さんは俺の顔を見て「おいおい」というように手を振った。 「そんな律儀に傷ついた顔をするなよ、コウ! 否定しているんじゃない。本当にお前らしい作品だよ」 一語一語、ハンコでも押そうとするかのように、区切って言う。 「生真面目で、まっすぐで、誠実で。俺は、本気で、これを舞台で、見てみたいと思ったよ」 俺はいったいどれだけ感情が顔に出ているのか。 大先輩の大恩人に対して。 汗をかいて下を向き、口元を手で押さえた。自分の無駄にでかい図体が恥ずかしかった。 「内容を無理に変えろというんじゃないんだ。娯楽性を加算すべきだと言ってるんだ」 「でもこの芝居にはダンスもないし、チャンバラもありませんよ」 「娯楽性はなにもそういうアクションとか、ギャグとかハッピーエンドのことだけじゃないじゃん、コウ」 ナラサチが横から口を添えてくる。 「衣装のおしゃれさとか、装置のきれいさとか、音楽の美しさとか転換の巧みさとか、そういうものでの加点も十分可能ですよね?」 伊達さんはそうそう、と言った。 「あとはこの物語の中で娯楽になりそうな要素をもっと膨らませるのがいいと思う。筋を変える必要はないと思う」 そういわれても俺には具体的に何をしたらいいのかイメージが湧かない。 困惑していると、脇で加納が静かに口を開いた。 「――いいでしょうか。私も、伊達先輩と同じように、この作品は『地味』だと思いました。でも、『地味』は悪いことじゃなくて、私は好きです。むしろ、この作品の問題は抑制が効きすぎてて、禁欲的だということだと思います」 俺は首を返して彼女のほうを見た。 座ったままの加納の銀の眼鏡のレンズに、自分の顔が映っていた。 「乾さんは、お人柄も、遠慮深くて、禁欲的です。モノトーンの、すてきな服を着て、はしゃがないで、常識的な感じ。それは悪いことじゃないですけど。ウェルメイドでとっても素敵だと思いますけど。もっとこう――。だって普段の乾さんを見てると違ったところもあるじゃないですか。それを出すべきだと思います」 俺自身は何を言われたのかよく分からなかった。ところが、照明のチーフが急に「ぶっ」と息を吹き、口元に手をやって俯くのだ。まるで、心当たりでもあるみたいに。 雲行きが怪しかった。 ナラサチがあからさまに悪い顔になって、しきりに彼女を唆す。 「違ったところって? 具体的にどういうとこ? 具体的に? 加納ちゃん」 「言っちゃえ言っちゃえ」 加納は彼女らしく少しくためらったのだが、伊達さんにまで促されて結句白状した。 「けっこう、その、おっちょこちょいというか――」 俺は笑いの爆発の中に一人取り残された。 「抜けたとこっていうか、えー……かわいいところ? が、あるじゃないですか。そういうところ、もっとどんどん出したほうがいいと思います。日常でもお芝居でも。あまり取り澄ましてツンとした感じにしないで」 俺は黙ってみんなの爆笑が耳の穴の中で渦を巻くのを聞いていた。 前も書いたが、俺は『イケメン』と呼ばれたって侮辱されたと思うであろう人間だ。みんなの前で、面と向かって、『格好をつけるな』と言われた時の気持ちを考えてほしい。 まさか加納にこういう形で攻撃されるとは思わなかった。 鏡を見たくもないがたぶん俺は今、首から上が真っ赤だ。 伊達さんの大きな手が俺の肩をばんばん殴る。髪の毛が撥ねたのが自分でも分かる。 そこには間違いなく『ずっと言いたかったことを誰かが見事に言ってのけた』時の特大の喜びがあった。 「いや! 今のはすごいいいアドバイスだぞ、コウ! 加納の言うとおりだ! 『かわいげ』は確かに永久不変のエンターテイメントなんだ。俺らはエンターティナーなんだから、そこは決してないがしろにすべきじゃない!」 「……どうやってかわいさを出せっていうんですかあ」 終わりかけのチューブからワサビでも絞り出すように俺は尋ねた。 本気で分からなかった。展開を変えろと言うなら変えられるし、尺を短くしろと言われたら少なくとも挑み方は分かる。 『かわいげ』ってなんだ?! いったいそれをどうやって俺が俺の芝居に追加するんだ?! 「衣装にリボンでもつけるんですか」 「かわいげってのは趣味を悪くすることじゃないぞ」 「まあそういう側面もあるにはありますけどね。アイドルとかを見ると」 「たぶんおバカな感じがあると親しみやすくていいんだよね」 「でもわざとやるといやらしいよ。自然なバカさじゃないと。あれだ、『天然』」 「動物的の赤ちゃん的なかわいさとかね」 「普段ちゃんとした人がふと油断した姿を見せたり、失敗するのもかわいいですよ。コウさんがよくされてるのはそれです」 ――加納は一体俺に何の恨みがあるんだ?! 「ちょっと待て、なんだあれは?」 伊達さんの一言が全員の盛り上がりを一旦停止して、後ろを振り向かせる。 稽古場の、壁際のベンチ。そこでは、いつまで経っても終わらない休憩に待ちくたびれたヒノデが、電車の中のすねた子供のように伊積によりかかり、耳の脇あたりに頭をくっつけて思うさまぐりぐりしていた。 伊積は怒るでもなく、例のペットボトルから水を飲みながら、 「なんだよ。疲れたの? 眠いんだろ。お前、昨日あんま寝てないから」 などとあやしている。 一口含んだ後、ペットボトルを差し出して「飲む?」。ヒノデが前髪にも構わずイヤイヤをすると黙って蓋を閉める。かばんにそれをしまうついでに、 「あ、アメ食べよ」 それを聞いたヒノデが手を伸ばすが、伊積は飴を守ろうとして二人の腕がもつれる。 「ダメだよ、これラスト1個だから。これは俺のだろ!」 「アーメー」 「お前もうさんざん食べたじゃん。虫歯になるよ! 太るよ!」 「兄さーん。ねーっ。アメー……」 その後も二人は、二匹の仔犬がするみたいに延々とじゃれ合っていた。 追加情報が必要だろうか。俺もが認める美声の美形と、ナラサチに言わせるなら『イケメン』が、周囲の人間(たとえば和田や小島)が驚愕するくらいのバカなネタで途切れることなくべたべたべたべたしていたのだ。 ぱっちん、と指を鳴らしたのは誰だったか。 (ナラサチだと思うが。) 俺は例によって彼らから視線を外すことができぬ状態のまま、呆然と傍らの異口同音を聞いていた。 「「「あれ(だ/です)」」」 (了)
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