XYXYXX (8) このころから、俺はいよいよ観念して現状と向き合わなければならなくなった。 つまり、美少年劇団の主宰としての自分の人生、とだ。 最初から俺が戦略的だったという噂は誤りだ。これまで言ってきたように、俺は流されて煩悶していた。 第四回公演でも結局写真が売れらることになってブースがロビーにしつらえられたが、俺は未だに引いていた。 その前を通るたびに心によぎる感情を正直に、まったく正直に書くならこうだ。 ――俺は、こんなところで好みの人間の写真を買うような、そんな人間にはなりたくない。 そこに群がる女性客たちを見ないようにしていた。 同時に、当然自己矛盾に気づき、罪悪感を抱いていた。 俺は自分の観客たちを愛していない。これは小さくない自覚だった。 彼女たちは、俺がこれまで相手にしてきたような――たとえば駒場にいたような――観客達に比べて、自己抑制が効かず、躾が悪く、浅はかで、信用ならないように思われた。例えば好きなジャニーズタレントのタイアップ商品が販売されたらその商品が良かろうが悪かろうがバカげた散財をして、そのタレントが出た映画は内容が紙みたいでも全部褒めたたえる、みたいな。 で、その理由を尋ねたらとにかく顔がかわいいから才能もあり人格も優れているにちがいない。よし優れていなくても構わらない、顔がかわいいから許す。といったような。冷静さを欠き、まともな議論ができないような人々だと感じていた。 実際に問題も起き始めていた。 例えば小島だ。落ち着いた性格で顔の広い彼は公演準備中にも他の舞台から呼ばれて客演をしたりすることがちょこちょこあった。小劇場というのは狭い世界だから、そういう情報はすぐ知れ渡る。 彼がシークレットゲストとしてある舞台に出た。最初全身着ぐるみを着て覆面で登場し、登場人物にお茶をふるまい、最後に着ぐるみの頭を上げて顔をちょっとだけ見せつつ公演の宣伝し、笑いを取って引っ込む。三分足らずの出演で、しかも総計三度ほどしか出なかった(そのほかの日は別の客演ゲストがいたり、スタッフが務めたりしたらしい)。 『プール』のファンの間にそれが知れ渡り、彼女らは小島のためだけに舞台を見に行った。それはいいのだ。ゲストを呼ぶ目的はそれもある。 だがその中の幾人かが問題行動を起こした。着ぐるみが登場すると同時に客席で集団で『小島くーん!!』『顔見せてー!!』と騒ぎ、驚いた出演者が『いや、今日は、違うよ?』ととっさのメタなアドリブで説明しても依然コールを続けた。 普通、小劇場でも、それ以上の規模でも、乞われない限り、客席で客が声を上げることはない。それこそジャニーズのコンサートではないのだから。 全員が仰天し、それで芝居の流れが止まってしまった。挙句、彼女らは実際に別の役者が出てきたり、(スタッフがやっているから)結局顔を出さずにそれが引っ込んだりすると、露骨にがっかりした声を出し、時には席を立って帰った。 『お前ら人気あるんだなあ』 相手がものの分かった、気のいい演劇仲間だったから、笑って受け流してくれたものの、その話を聞いて俺は凍り付いたし、小島の顔も強張っていた。 ほかのスタッフや、役者や、その劇団の芝居が好きで見に来ていた普通の観客たちがどう感じただろうと考えるとあまりに申し訳なく、その後かなり長い間罪悪感を引きずっていた。 劇団の公演は、テレビとは違って間が空く。ほとんど情報もなく三か月も四か月もじりじりと待っていなければならないから、数少ない露出に飛びついてしまう気持ちは分からなくもない。だがそれにしても、普通に考えたら分かるような最低限のマナーがなさすぎる。 小島と並んで看板役者になっている林日出にも色々起き始めていた。アピールのすごい贈り物やネジが飛んでるとしか言いようのないラブレターはまだ分かる。しかし稽古場の前の路上で座り込んで出待ちをしていたり、コンビニで彼をつかまえ電話番号を教えろとしつこく絡んだりということが迷惑だということは、いったい改めて言われないと分からないことだろうか。 あとこれは好みの問題だが、そういう問題行動を起こす人間ほど服装の趣味がアレなのはどういうことだ。 第四回公演が終わる頃、劇団にもたらされた『同人誌』なるものの破壊力もすごかった。コミケで実際に売られていたものらしいが、第三回公演をネタにした『やおい』で、舞台ではほのめかされるだけだった小島の役とヒノデの役がなんか束縛的で歪んだ恋愛をし、最後は合体していた。 舞台の上では、セックスは描かない。 当たり前だが。 もし描かれているなら、そこには相当の理由と、戦略とが存在する。 描くにせよ描かないにせよ、俺たちはそれをものすごく考え抜いて決めている。そのこだわりが、芸術とポルノを分ける。 俺が芸術にしておきたかったことを、この作者は三流ポルノにして販売していた。 みんなは笑っていたが――俺は、笑えなかった。 こんなこと、これまでの天球社の客ならしなかったはずだ。 何かこうしたことがあるたび、俺の観客に対する不信感は増した。ほんとうにこれでよいのだろうかと思い、自分はとんでもない商売をしているのではないかと迷った。 加納は住友が俺らのファンのことも三流とバカにしていると言ったが、それにだって、理由がないわけではないのではないか。住友の傲慢だけで片付く話なのだろうか。 こんなことが続けばそれは思われるに決まってる。現在『プール』についているファンたちは、未熟で、礼儀がなっていなくて、浅薄で、洗練されていない。 シアターARC演劇賞が俺らを認めるなんて、まあ、有り得ないなと。 うっかり公演前にロビーに出てしまった。客入れが始まっていたのに気づかなかった。 幸いなことに俺は役者ほど顔が知られていない。さっさと受付での用事を済ませて戻ろうと思っていた時、壁際で話す二人連れの女性客の言葉が耳に入った。 彼女らはヒノデの写真を何枚か手にして、かわいいかわいいと連呼し舞い上がっていた。 ――わたしこの間、公演が終わった後、駅でヒノくん見て。 ――えー? ほんとー?! いいなー!! どうしたの? ――一緒に写メ撮ってくださーいってお願いした。 ――マジで?! 撮ってくれた? ――横にいたイズミがダメ―って。ヒノくんは撮ってくれそうだったのに。 ――えーっ?! マジ邪魔だね、あいつ。 ――マジうざくて死ねって感じだった。で、そのまま行かれちゃった。 ――あいつ、マジ邪魔。話的にも邪魔だし、現実でも邪魔。あいつの写真とか買う奴いんのかな。いつも残ってるけど。 あははは、という笑い声とシンクロするように、俺の視界の隅で二人の衣服が揺れた。 ――ていうかさ、顔もヘンだけど、動きもヘンだよね。クネクネして。おかまっぽい。 ――おかまなんじゃん? おかまの嫉妬なんじゃん? ほとんど、用事がなんだったのかも、おぼつかなくなりながら、なんとか済ませて、舞台裏へ帰った。 すでにメイクアップも終えた役者たちが舞台脇でスタンバイしていた。 イズミは小島や和田に、最近できあがってきた上腕の筋肉を見せびらかしていた。俺を見ると、笑いながら「コウさん! これ見て、これ!」と、俺にも腕を差し出してきた。 相変わらず客の入りはよく、今回も黒字で終わりそうだった。しかし、それと俺の気力がもつかどうかは別の話だ。 どうしても。どうしても。 どうしても書けない事態だって経験している。 絶食もカンヅメも自傷も効力がないことだってある。 そうなったら、どうする? ARC演劇賞どころじゃない。一旦始めてしまった三部作を、この状況で、俺は本当に完結できるのか? 暗い気持ちでいっぱいの俺を、ふと我に返らせたのはアンケートの一文だった。 本番中、演出は一番やることがない。俺は楽屋で客からのアンケートを読んでいた。 一人の客がマンガ字でこう書いていた。 台詞が詩みたいですごく心地よかったです。 けっこう韻も踏んでますよね? 大好きです。 次回作も楽しみにしています。 バカげたことだと思うが、俺の脳はこういう時、天から降ってきた弁当のことを勝手に再生するのだ。 この時期俺が波に乗り始めてウハウハだったという説は正しくない。 毎日この調子で浮いたり沈んだり、不信と怒りとに、振り回されていた。 かろうじて踏みとどまれたのは仲間たちと、それからやはり、観客のおかげだ。 第五回公演の時、俺は衣装・メイクアップの予算を上げると決めた。 二度と役者に恥をかかせたくなかった。 これまでは、従来通り劇団内部でやりくりしていたが、外部の助けを借りることにした。デザインを極めれば、役者の動きをカバーできる部分もあるはずだ。 またしても加納の知り合いが新たに参加してくれることになった。なんでもイギリスで舞台の仕事をしていたが、子育てのために帰国したのだという。 余計なことだが、彼女は俺の知人の中で、最も服装のセンスがいい人だ。彼女の着ている服やアクセサリが、いつも、ものすごく好きだ。 初めて打ち合わせに来た時、彼女は稽古場で談笑していた役者の姿を見るなり、感嘆の声と共に足を止めた。 「――わあ、きれいな子!」 場には和田も小島もヒノデもいた。しかし彼女が見ていたのは、イズミだった。 俺はあんまりびっくりしたので思わず素直に言ってしまった。 「でもちょっと変な顔じゃないですか?」 彼女は背が一五五cmくらいしかない。銀髪に染めたベリーショートの頭を反らして身長差のある俺を見上げた。 「美人はみんな異形だよ。彼だけいつも浮き上がってるでしょ、そうじゃない? あなたが今『変』と言ったのも、もっともな反応だよ。日常で間近で見るには派手すぎる。ぎこちない。でも、ものすごくメイクの映える舞台向きの顔をしてる。――こんなオトコノコがいるなんて。遊びのつもりだったけど、ワクワクしてきたなあ」 ぱん、とマニュキュアを塗られた手を打ち合わせて言った後、彼女はまた俺の顔を見た。その視線が上へ行ったかと思うと、当たり前みたいに指が伸びてくる。 「監督さんもステキだよ。モデルみたい。でもちょっと全体にモノトーンすぎない? わたし、監督さんの髪も染めたいなあ」 「いや、あの、ちょっと」 嫌がる子供みたいに彼女から逃れて顔を上げたら、ぽかんとした表情でこちらを見ているイズミと視線が合った。 その、空に浮き上がる赤い唇。 隣ではヒノデがしらーとした顔で立っていた。腕がイズミの肩に回っている。口が動く。 『すけべ野郎』 くそ。腹立つな。 (了)
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