XYXYXX (9)




[ 劇団プール ]
第四回公演 百鬼伝 序 2月23日-3月2日公演終了 満員御礼!
第五回公演 百鬼伝 炎 6月8日-6月17日公演予定
第六回公演 百鬼伝 了 10月公演予定



 印字されたスケジュール告知が貼られた新しい事務所で、俺とスタッフたちは第五回公演『百鬼伝 炎』の演出について話し合っていた。
 ナラサチや加納をはじめとするスタッフは、舞台を派手にし、速度を上げ、これまでのきっかけ総数を倍くらいに増やすべきだと主張して、俺はそれに尻込みしていた。
 三部作の真ん中の舞台はにぎやかでなければならないという考えは俺も持っていた。観客の興味がなくなったら最後の公演に来てくれなくなるからだ。
 だから台本そのものを意図的に派手にしていた。裏切り、争い、恋愛、サスペンスといった、客を引っ張る要素をこれまでにないほど入れた。
 だが彼女らのプランは俺の予想をはるかに越していた。ほとんど『スター・ウォーズ』的な舞台を要求していた。
「……レーザーライトを使うの? それは……」
 困惑する俺の隣で、笑い上戸の照明のリーダーが首を反らしてパイプ椅子をきしらせつつ笑う。
「あっはっは。ほとんど新感線さんだね」
「スモークの中でレーザーでチャンバラってそれはあまりにチージーじゃないか」
「まだまだですよ」
 と、眼鏡の加納。
「十四場では、ヒノデくんをワイヤで吊るしましょう。で、飛ばしましょう」
「おーーい」
 俺は机に倒れこみ、照明は体をのけ反らせて笑う。
「あっはっはっは。ジャニーズみたい」
「そこまでやったらもう完全にイロモノじゃないか?」
 俺は額を押さえたけれど、ナラサチも、加納も、逆にしらけた様子だった。まだそんなことを言ってるの? という顔だ。
「私たち、イロモノだよ。すでに」
「そうですよ」
「…………」
 苛立ちを含んだナラサチの目が冷酷に、俺のそれを見返す。
「どこの劇団が、ロビーで写真を売ってるわけ? そんで次はファンとのチェキ大会を千秋楽にやろうなんて計画してるわけ? 毎回舞台をほとんど見ないような女の子ばっかり集めてて、同人誌が出てたり、2chにスレッドもってるわけ? ――まだ王道の大学演劇やってるつもりなの? インテリが見に来るような? ほんとに現実が分かってないよね、コウ。頭いいくせに。どうしてそんなにふわふわしてるのか時々謎だわ」
 次の言葉は俺の胃を押した。
「もう二度と元の場所には戻れないよ」
「コウさんのその純粋さはとってもとっても大事なんですよ。このお芝居を、ただのやおいじゃなくしてるのはまずコウさんの文学性ですから」
 緊張する二人をとりなすように、加納が両の掌を胸の前で合わせた。
「少なくないファンが、コウさんの書く物語、登場人物の純粋さ、台詞のすばらしさに惹かれてます。それはスレッドを見てさえ、明らかです」
 加納は机の上に台本や資料と一緒に置かれた、2chのスレッドをプリントアウトした紙の束に片手を伸ばす。
 それは多分女性たちの、かなりあけっぴろげな妄想やわがままな感想、時には胸の悪くなる中傷・暴言に満ちていた。しかし無視できない量で、舞台の芸術性に対する賞賛もまた書き込まれていた。そのふたつが一つの発言内で同時に表現されている場合さえあった。
「確かに客はイケメンが出てるとか、彼らの関係性に萌えられるとか、分かりやすい娯楽に惹かれて、芝居を見に来てます。それでも、そこに魂があるかどうか、とか、手が込んでるかどうか、技術があるかどうかとかは、ちゃんと理解していますよ」

 ――本当かね。
 俺はうんと頷くことができなかった。
 俺は俺の客である女たちを信用していなかった。
 俺は俺の芸術性を少数の『分かる』人たちに対し救命信号のように潜ませていたのであって、客の大部分に伝わるとは思っていなかった。
「むかつく。ほんと」
 ナラサチは俺の思考を読む能力が高すぎるので、呟いてそっぽを向いた。俺は俺で、俺の不信を裏付ける証拠はいくらでもあるんだぞと思っていた。
「――とにかく、三部作は始まってしまったんですから、どっちの要素も増量が必要です。芸術性も、娯楽性も。それはコウさんも同じ考えですよね?」
 同じ考えかどうかはともかく、それを『しなければならない』のは分かっていた。
 あのロビーで好き勝手な文句を並べる軽率な客たちから、文句が出ないようにしなければならない。
 ただ、スモークの中でのライトセーバー戦や、ピーターパンばりの飛翔を俺が容認できるかどうかははっきりしなかった。
 いったいそこまでやる必要があるのだろうか?
 とりあえずその場では結論を出さず、また二日後に話し合うことにした。
 俺はナラサチとコミュニケーションをとる必要性を感じたが、あまりに彼女が不機嫌なのでこちらまで意地になってしまいそうだった。
 スタッフたちもみな、雰囲気の悪さを感じて困っている。
 こんな状態ではいけないのだが――。



 その時だった。事務所の扉が開いて、小島と和田が入ってきた。
 事務所内のスタッフが歓声を上げる。
 ぱっと見てすぐにわかるくらい、髪形が変わっていたからだ。
「わー! それ?!」
「おつかれさまです。はは」
 さすがの小島も照れ笑いだ。
 小島はほんの少しカラーリングをして赤みがかった髪になっていた。さらにカットが的確で、当人がもともと整った顔をしているから、海外の雑誌で見るような、本当にハンサムな外見になっていた。
 思わずうらやましい、と思ったくらいだ。
「見て見て、メッシュー! チョーヤバくない?!」
 和田は肩までのボブカットになり、そのうえピンクのメッシュが入っていた。これも当時は海外のパンクカルチャー以外ではあまり見なかった姿だ。
 彼女は長年ロングヘアが定番だったが、今となってはそれが嘘みたいによく似合っていた。加納もナラサチもこれまでのことをすっかり忘れて彼女に駆け寄る。
「うわー! すごい!! 似合ってるじゃん、和田ちゃん! 舌にピアス開いてそうだよ!」
「素敵ですー。わー。素敵ですー」
「これ何時間くらいかかったの?! お疲れー!」
「チョーすごいよ、あの先生。いったいどうされるか不安だったけど、ちゃんと肩幅とかまで測ってくれてバランス計算してから作業始めてさ――ていうかあのね! 後ろにもっとすごいのいるよ」
「えっ?」
「恥ずかしがって入ってこないんですよ」
 なんだか立ち振る舞いまで変わった小島が一旦閉まった背後のドアを押し開いて声をかける。
 役者たちは、今日は朝から例の新しいメイクの先生のヘアサロンへ行っていた。ポスターやパンフ用の写真を撮るのに合わせてヘアカットをするためだ。
 俺はもちろん事前にデザイン画を見せられていた。それでも――いや、そのためにむしろ一層、マンガ的とも思える派手なイメージを実際の人物の身体に見事に定着させる技能の的確さに、度肝を抜かれた。
 ――メイクってこんなことまでできるのか。
 そして残りの二人とはもちろん、ヒノデとイズミだ。なんだか扉の向こうでごにょごにょ話し声が聞こえた。しかし結局、和田と小島が二人を引っ張り込む。



 講堂のステージの上に現れた『先生』の姿を見て、外の世界を忘れたように。
 俺は自分が、それまでの険悪な言い合いどころか、呼吸を忘れことを覚えている。
 ヒノデの髪は、青みがかった色になり、しかもウェーブがかかっていた。前髪が目にかかる限界くらいまで長く、萩尾望都の漫画から出てきたみたいに美少年だ。
 でも、俺を黙らせたのは、イズミだった。
 彼は金髪になっていた。ストレートのまま金髪だ。そうするとどうなるかというと、もともと地肌が冗談かというくらいに白いので、髪と肌の境目があいまいになり、落ちかかる前髪の中に黒い眉と、黒い目。そして細い鼻筋の下に、赤い唇が浮いている。
 この髪のための顔だったのか。
 そんな言葉が脳に湧いて出たくらい、それは彼にぴったりと合っていた。
 これは和田達もそうだが、髪を変色した人間にともすれば付きまとういかがわしい感じ、擦れた感じ、不潔な感じはまったくなかった。
 これまでの、何か変に気になるおさまりの悪さ、違和感は消え、初めて、彼の本当の姿が現れたような、そんな感じさえした。
 えーっ! という吐息のまじった多重な声が、事務所を満たした。
 俺以外の連中もみんなびっくり仰天していた。
 瞬間、まるで水でも浴びせられたみたいにイズミはくにゃっと体を回転させると、両手を上げて顔を覆った。
 肩を思い切りすくませている。恥ずかしいのだ。
「えーっ! ちょっと! すごい!! ヤバいって、これ!」
「でしょ。電車でも大変だった。じろじろ見られて」
「写メ撮ってもいい?!」
 押し寄せる女の子たちから、身をよじり、顔を伏せ、ヒノデの背後に逃げようとする。
 その姿がみんなの愛情をさらにあおり、ヒノデさえ笑って彼を抱きしめ、ぽんぽんと肩を叩いてやっていた。
「大丈夫だよ。兄さん、よしよし」
 俺はその場に突っ立ったままだったが、合図でも受けたみたいに、右手が勝手にぴくりと動いた。
 やがてみんなの興奮も少しはおさまり、同時にイズミの羞恥も限界を通り越してようやくヒノデの胸から顔を上げた。
 それでもまだ、口元に握った左手を当てたまま、本当にどうしたらいいのかとさまよう視線が、ふと俺のそれとぶつかる。



 ナラサチとか、加納とか、和田によれば、その日を境に、俺の態度はあからさまになったという。
 自覚はない。
 けれど、その時、真正面から見た彼の顔のことを細部にわたるまで覚えている。顔がピンクがかり髪の毛が白く浮き上がっていたこと。恥ずかしさのあまり、黒目が涙で濡れていたこと。俺と目が合った瞬間、音もなく、首筋がさっと赤く染まったこと――などを。
 だから、きっと彼女らが言うことは正しいのだろう。
 その日を境に俺は彼を目で追うようになった。
 きれいだから。
 きれいだからだ。
 そしてファンたちの間で、後々、第五回公演『百鬼伝 炎』は劇団プールの未来を決定づけた最高の舞台だったと言われることになった。
 その舞台で彼、伊積陽生は、これまで小島望や林日出と比べて明らかに低い人気と評価に甘んじていたのだが――大ブレイクし、劇団を代表する役者として認知されるようになったのだ。




 確か、その公演の始まる一月前くらいだったと思う。
 稽古の合間に、知り合いの芝居を見るために仙川へ行った。その途中の、芦花公園駅付近の線路沿いの看板に『伊積歯科医院』――とあるのを見つけて、我ながら笑った。
 こんなものをちゃんと拾い上げるなんて。
 重症だなと。
 それからふと思い直した。――ひょっとして実家か?
 イズミと家の話はほとんどしたことがないが、確か東京出身のはずだ。あまりある苗字ではないし、漢字も珍しいほうだろう。
 だとしたら、歯医者の息子なのか?
 確証はなかったものの、ちょっと道理で、ではあった。彼は贅沢とまではいわないが妙に余裕があるようなところがあって、あまりバイトに駆けずり回っている様子がなかった。
 実は林日出もそうで、奴は実家がパチンコ屋でたいそう金持ちなのだそうだ。家にはプールまであるとか言っていて、みんながうらやましがっていた。
 今度会った時、当人に確認しよう、とその時は思っていたのに、電車を降り、芝居を観たらすっかり忘れてしまった。
 次に思い出したのは彼がコンビニでカーネーションを買うのを見た時だ。母の日だった。
「そういえば、お前の実家、芦花公園のほうか?」
 彼は一瞬きょとんとした。
「歯医者?」
 そのころイズミはよく赤面した。前からそうだったのかもしれない。髪の毛のせいで目立つようになった。
 この時は鼻っ柱まで赤くなった。
「あー……」
「たまたま看板見たんだけど、あれ実家? 本当に?」
 彼ははあまあ、と言ってへらっと笑った。そしてレジに会計をしに行った。
 母の日にカーネーションを買って帰るくらいだから、実家との仲も良好なのだろう。だからああいう明るい性格なんだろうな、と俺は思いながら、顔を少し俯かせるようにして立って、財布から金をとりだす彼の姿を見ていた。
 花の色はちょうど彼の唇と同じ色だった。




(了)





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