XYXYXX (11)




 誰かの囁くような歌で目が覚めた。
 ボニー・ピンクの「Heaven's Kitchen」だった。
 上手だった。
 それ以外の物音がその向こうに聞こえる。
 あたりは明るく、もう朝だった。
「間に合うかな。ゴミ捨ててきます」
「階段気を付けてね。ここボロいから」
「ナラサチ。あたしら今日、13時集合でいいよね」
「取材ある人は13時。遅れないでよー」
「イズミからメールです。『誰か手伝いに来て』って」
「だから言ったのに」
 歌が止んだ。床から立ち上がる音がする。
「俺、行く」
「おお、やさしいじゃん、ヒノデ」
「そう、俺最近やさしいの。演出さんにもヘブンズキッチンしたげたし」
 玄関のたたきから靴をひっかけて出ていく音。
 それが消えると苦笑を含んだ会話が交わされる。
「何言ってんの?」
「何言ってんでしょうね」
「本当にフシギちゃんだなー」
「じゃ、俺コインランドリー行ってきます」
「場所分かる?」
「はい。多分大丈夫です」
「さすが! ほんと小島氏は頼りになる!」
 ナラサチの声に、照れたような小島の声がいってきます、と言ってまた玄関を出ていく。
 風が通っている。
 思うに、玄関の扉が解放されている。
「あー。起きた?」
 俺が身動きしたのを見つけて和田かおりが近づいてきた。
 彼女は素でも美女だ。俺は反射的に、布団からはみ出た体を隠し、それから瞼をこすって何とかまともに開こうとした。
 汚い話だが、上下のまつげが目ヤニでくっついてバリバリになっていて、容易に開かないくらいだったのだ。瞼自体もむくんでいる。
「サチ、濡れタオル、濡れタオル」
 和田がすぐに運んできて、顔に当ててくれた。それを受け取り、顔をごしごし洗った。その間に状況を飲み込む。
 明らかに大勢来ていた。
 俺のために。
 ゴミ出しだの洗濯だの掃除だのもしてくれていた。
 公演の合間だというのに。
 ――ああ。恥ずかしい。消えてしまいたい。
「おお。さすがにヒゲが伸びたねー。おはよう、コウ。昨日来れなくてごめんね。色々やってたら遅くなっちゃって。体調どう?」
 髪の毛もいったいどうなっているか。体臭もあるだろう。
 返事どころか、タオルから顔も上げあぐねていたら、床に座った和田がさっと台所を振り返り
「ダメだ、恥ずかしがっちゃってる」
などと言ったものだから、そこから割と地獄の展開になった。
 台所のほうにいたナラサチと、加納が和田と一緒になってわーっと俺の前に押しかけ赤ちゃん言葉で俺をあやし始めたのだ。
「あらー、はずかちいの? はずかぢいの。そうね、はずかちいねー」
「大丈夫よー。みんな気にしてないでしゅよー」
「コウ君、お腹すかない? あさごはん食べよーか?」
 俺は渾身の力でタオルを振りまわし嫌がらせを撃とうとした。
 多分目はこんな感じ(>_<)になっていたと思う。
 それで彼女らも止めてくれた。俺は食事は断ったけれど水はもらった。全精力を振り絞って寝台に座り、自力でペットボトルから摂水した。
 でもなかなかその状態でいることが難しい。またすぐ激しい倦怠に襲われ、俺は横になった。眠いのではない。入眠できればどれほど楽かと思うが、ただ縦になっていられないだけだ。
「チョー参ってるね。ホントに。あらためてびっくりするわ」
 驚いたような和田の呟き。
「病院行かなくていいんですか?」
 と、加納。
 俺が重い手を振ろうとするよりもずいぶん早く、ナラサチが。
「彼が行きたいと言ったら行かせるよ。ほんとに赤ちゃんじゃないんだからそれくらいの意思表示はしてくれるよね? コウ?」
 俺が頷くと、布団が耳まで引き上げられた。顔が隠れる。
 ナラサチは思いやりのある人間だ。
「前と同じなら、あと二、三日でお風呂に行けるくらいまでは回復すると思う。たぶん大丈夫」
「過労、なんですか?」
「……さあね、まあ似たようなものなんじゃないかな。前起きた時に、うるさく言って市の健康診断受けさせたんだけど、何の異状も出なかったから。今回も一応受けてもらうけどね」
「分かりました」
 加納はともかくも医療機関にかかるという回答を得て納得した様子だった。良識派の彼女らしい反応だ。
「コウ、心配しないでいーよ。公演のほうはうまく行ってるから。毎回サチが見て直すところも直してるから。取材とかはあたしらが受けるんだよ。結構みんな立派にこなしてるよ! 後でいろいろ見てよね」
 俺に言う和田の後ろからナラサチも身を乗り出して俺の肩を触る。
「観客動員数も更新中だよ。アンケートの戻りも反応もすごくいいよ。ファンもお大事にって。何も心配しないでいいから、とにかく休んでね」
 前、倒れた時もまったく同じことを言われた気がした。
 彼女ら、彼らは俺のいない劇団を一生懸命支えてくれているのだ。
 ただでさえ、密度の濃い舞台で史上最も長い公演だというのに。
 どうしたって罪悪感を抱かざるを得なかった。体調不良は確かに罪悪ではない。しかし、体調不良によって人が職務を全うできなくなることは事実であり、世に欠席を贖う術はないのだ。
 俺は俺の精神の弱さが恨めしかった。
 みなは俺を責めずにサポートしてくれている。
 しかし、理由もわからず病院に行っても対応策の取れないこんな状態が公演のたびに起これば、俺は本番中に不在の主宰となり、それはもう主宰ではない。
 たとえ全劇団員がそれを許してくれても、俺自身が許さない。
 そして俺は、もちろん、仕事をしたい。
 なのに体が言うことをきかない。いやだいやだここにいると言って暗闇を背にわめいている。
 俺はその子をなだめる術が分からないのだ。どうやったら、そこから明るいほうに出てきて一緒に遊んでくれるのか。怯えることなく。
 俺が返事をできない間に彼女らは遠慮をし、また台所のほうへ戻っていった。残りの仕事を片付けに。
 心配しすぎなのかもしれないが、「いったいどうしたらいいのか」という困惑の空気は確かに場に残っていた。
 俺だって途方に暮れていた。
 これほど親切にしてもらった(あげた)。でも効果が感じられない。
 ……じゃあいったいどうしたら?


 ビニールのこすれ合うような音が、遠くから聞こえてきたと思ったら、玄関口にずどんと何かが放り出される音がする。
「あー! クソ重かったーッ!!」
 正直なヒノデが大声を上げてすぐさまナラサチと加納から「シーッ!」とやられる。
「なに、お米運んだこと、ないの?」
「ないよ。なにこれ、なんでこんな重いの? バカじゃないの?」
「バカはあんたでしょう」
「さすがボンボンですね」
 一拍遅れて、
「お疲れ様でーす」
 イズミの声が聞こえた時、心臓がずくりと動いた。俺は本当に肉体とか神経とかいうものが理解不能だ。いったいに恥とか矜持とかそういうものを知らないのだろうか?
「わー。ありがとう、イズミ。お水まで買ってきてくれたんだ。これだけあったらしばらくもつよ。重かったでしょう。お疲れ様」
「あ、野菜もある。ちょっとまだ食欲ないみたいよ?」
 和田の声にイズミが応じるのが聞こえた。
「今じゃないんだけど、またそのうち作るために買っとこうと思って。コンビニで買ったらもったいないし。あと包丁とかまな板とか」
「おーけーおーけー」
「あとは、お見舞いの品があります」
「お、なに?」
 安アパートの床が控えめにしなって、彼が返事の代わりに近づいてくるのが分かった。
 俺は布団の下で、顔に血が上るのを感じた。いやだ。恥ずかしい。見られたくない。
 彼が近づくと周囲の空気が涼しくなったような気さえした。声が降る。
「コウさーん。お疲れ様でーす。おかげんいかがですかー?」
 役者のよく通る優しい声だ。
 舞台の上のあの美しい彼の姿が思い出された。
 クサくて汚くて情けない俺はいったいどうしたらいいのか。
「昨日も来たんですけど、おやすみになってたんで起こさずに帰りました。今日はお土産ありますよー。コウさん、顔見せてくださいよー」
「ヒゲだらけだから……」
 俺も何を言ってるのか。女の子か。
「じゃ、目だけください。こっち」
 言われて、手で顔の下を隠した状態で寝返りを打つ。
 視界に、イズミの笑顔が現れて首の後ろの毛が逆立った。
 ――なんだこいつ。
 マンガの登場人物か何かじゃないのか?
 固まる俺をよそに彼は斜めがけの鞄の中に手を突っ込んでガサガサした。何かを取り出し天に掲げた。彼が「じゃーん!」とセルフ効果音を発したのと、後ろで見守っていた連中が一斉に笑い崩れたのはまったくの同時だった。
「リラックマのぬいぐるみ、でーす!」
 彼はそれを俺の体の脇に置いた。
 また手を鞄に入れる。
「さらにまた別のおともだちを……。となりのトトロさん、でーす!」
 二つ並んでもう終わりだろうと思ったらまた来る。今度は脇のキャンバス地のトートバックを下ろし、そこからやたら黒いのをつかみ出してくる。
「最後に……俺の最終兵器! 秘蔵の――そして前から似てる似てると俺がひそかに考えていた――サンリオのバッドばつ丸君! ですッ!!」
 病人に迷惑とかいう以前に、近所迷惑のレベルで、しばらくの間部屋が大騒ぎになった。
 崩れ落ちた和田の背中に加納が覆いかぶさり、ナラサチは手を叩きながら台所で円を描き、ヒノデに縋りつかれたイズミは自分でも笑い出し、最後に戻ってきた小島が時間差で撃沈した。
 俺だけがどうしようもないまま、布団の中で真っ赤になっていた。
 俺はぬいぐるみしか見えないので、リラックマとトトロとバッドばつ丸と俺が四つ並んでいる状態がどれほど面白いのか分からない。
 呼吸困難からようよう這い出した加納が、壁のほうを向こうとする俺を必死でなだめながら写メを撮り始め、全員がそれに続いた。
 連中は「後で送る! 後で送る!」とかほとんど泣きながら言ったが、実際に俺のPHSにメールが来たのは三時間も後だった。


 彼らが時間だからと言って去り、俺はぬいぐるみたちと一緒に残された。
 俺はやっと布団から上体を出してばつ丸君を手に取った。
 全長15cmくらいのものだ。ゲーセンなどで取れるのだろうか?
 俺はゲームセンターに行く習慣がないし、ぬいぐるみも一つも持たない。昔から。
 ――イズミは。あいつの家にはなんだか膨大な数の『おともだち』がいそうな気がした。
 俺はしばらくその黒いペンギンのジト目とにらみ合っていた。
 憎くもあったし、まだ恥ずかしかったのに、なぜかその体を前に倒して額と自分の額をぶつけた。
 疲れたのか、眠たくなってきた。
 俺はそのまま眠り、夜まで目覚めなかった。




 次に俺の目を覚まさせたのは、玄関の錠が回る物音と人の気配だった。
 部屋の中は真っ暗だった。手元の充電ケーブルのつながったPHSを手繰ると、22:15と出た。
 メールの着信がある。多分、夜公演終了の報告メールがナラサチから来ていたのだろう。
 扉が開き、空気がさっと涼しくなった。わずかに雨の音が聞こえた。
 電気がつく。紐を引っ張って最初にその光を浴びたのは、イズミだった。金髪の前髪がくっきりとした影をその頬へ落とす。
「お疲れ様でっす」
 彼は俺のほうに視線をやり、まぶしげな俺と目が合うと優しく挨拶した。
 彼は灰色の長めのカーディガンを来ていた。その下は白いTシャツだった。少し髪が濡れているのは雨のせいだろうか。
「公演終わりましたよ。取材も無事に。俺は雑炊作りに来ました。ちょっとお騒がせしますが気にしないでください」
 初めから俺の返事や許可を待つつもりではなかった様子で、彼はさっさと荷物を置き、台所に立って準備を始めた。普段から料理をし慣れている人間の挙動だった。
 俺は彼を止める手段も体力もなかった。
 その代わり、ものすごく長い時間をかけて、倒れて以来何度目かの、トイレに行った。
 ユニットバスは台所の脇にある。イズミは俺の姿を横目で捉えたけれど、口も手も出さなかった。
 俺はユニットバスに入って、用を済ませて手を洗い、その時に鏡を見た。
 体の中から制御できないくらいの強さで湧き上がってきた必要に突き動かされて、俺は顔を洗い、それから、ヒゲを剃った。
 二度の長い睡眠で、かなり体力が戻っていたことはあるだろう。最後に髪を少し濡らして、言い訳程度に髪の毛を整えた。
 本当は風呂に入りたかった。涼しい季節でまだよかったが、においもあるに違いないから。明日には入浴できるだろうか。
 それからよろよろとまた居室へ戻った。
 彼は料理をしている最中だった。ガスコンロの上で鍋の蓋が噴いていた。彼はちらっと俺のほうを見たが相変わらず黙ったまま、ただコンロの火を弱めた。
 彼がまな板の上で何かを刻んでいる音がし始めた。俺は寝台に再び横になって、音楽みたいにそれを聞いていた。
 前にばつ丸が倒れ伏していたので引き寄せた。
 しばらくすると、ご飯の炊けるにおいがした。お腹が空いたような気がしないでもなかった。



 イズミは結局調理を終えて、器具の後片付けまでを終えてから、ベッドの前へやってきた。
 それほど長い時間ではなかった。正味40分くらいだったろうか。
「梅のぞうすい置いてありますから、よかったら、温めて食べてください。卵を落としてもいいですよ。食べれなかったら、明日みんなで食べます」
「……ありがとう」
 食べられるかどうか、と訝りながらも俺は礼を言う。
「いえいえ。当番制になりましたから。みんな続々来ますよ。覚悟しといてください」
 用事は済んだと思うのだが、彼は座った。足元に転げ落ちていたリラックマを取り上げて、自分のあぐらの上に置いた。
 リラックマは目が大きいが無表情だ。その顔を一旦見てから彼は「かわいいなあ」というように、うふふと笑った。それから俺に言う。
「少し休んだら帰りますんで」
「ああ」
 俺はクマと彼を見て、彼は多分ばつ丸と俺を見ていた。
「ごめんな。一日に二回も」
「これくらいは全然。バイトとかじゃありませんし」
「……みんな、大丈夫かな」
「大丈夫ですよ。それに、今は、コウさんはコウさんのことを心配したほうがいいと思いますよ」
 ナラサチあたりも言いそうなことだった。俺はぐうの音も出ない。
「ごめん」
「いえ、そういう意味じゃないんですけど。みんな同じ思いだと思います」
 やはり間がもたなかった。居心地が悪いわけでなかったものの、続かない会話のすき間を雨の音が埋めた。
 俺はもう、「大丈夫か」と聞くカードも使い、「すまない」というカードも使い終わっていた。
 あとは、何を言うべきだろうか?
 こうして、今、本来自分のものであるはずの時間を使って俺の前に座ってくれている彼に?
 俺に、さみしくないようにとぬいぐるみを貸してくれた彼に?
 彼は俺の気分も聞かない。病名や原因のことも聞かない。
 彼はどんな話を、俺としたいのか?
「――料理、得意?」
 彼はうっすらと伏せていた目を上げた。前髪の中で黒目が動いて俺のほうを向いた。
「得意かどうかは。好きですけど」
「昔から?」
「小学校の調理実習くらいからもう楽しかったですね」
 手際よく病人のために雑炊が作れるくらいだものなあ。
 やっぱりいい家庭で育ったのだろう。彼の唇を見ながら五月のカーネーションのことを思い出していたら、逆に聞かれた。
「コウさん、料理しないでしょう。びっくりしました。台所に何もないんだもん」
 俺は苦く笑って首を振った。
「しない。というよりできない。そもそも、食べること自体があまり得意じゃない」
「そーいう感じですよね。ごはん食べてないことも多いですよね」
「……バレてる?」
「バレバレですよ。みんな知ってますよ」
 あ、そう……。
「なんで食べないんです? お腹空きますよね?」
「もともと好き嫌いが多いんだ。あとはなんというか……食べる前に、分からなくなって、そのまま食べないこともあったりする」
「?」
 イズミはリラックマを抱き上げていた。その丸い頭に顎を付けた状態で、怪訝な表情を浮かべた。
「食べる前に、分からなくなることがあって。――食べていいのかどうか。10分くらい迷うこともあって、結局じゃあ怖いから食べないでいいってなる」
 イズミは分からないようだった。黙ったまま、リラックマの顔を斜めにした。
 それはまるで、『食事をしていいかどうか分からないって? 分からないわけがないだろう』と言っているかのようだった。
 確かにそれはそうなのだが。
 俺はやや慌てながらなんとか自分を説明しようとして意識と言葉をかき集めた。
「あのさ、……これ、実際にあったことなんだけど……絶対、頭がおかしいと思うと思うんだけど」
「うん」
 と、クマと一緒に彼は頷く。
「子供の頃、夏、道を歩いてたら、空から、弁当が降ってきたんだ」
 この話を誰かにしたのははじめてだった。もちろん正気を疑われる話だからだ。
 ナラサチにさえ言ったことがない。どうして俺は彼にこれを話すのだろう?
 彼の意見を聞いてみたいのだろうか。
 彼とクマは表情を変えることなく聞いていた。何故か俺は普段よりも子供じみた言葉遣いだった。小学生みたいな。自分でもそれに気付いていた。
「俺その時、めちゃくちゃ腹が減ってて、ほんとに倒れそうだった。でも、さすがに天から弁当が降ってきたら、びっくりするだろ。まわりを見たんだけど、何もないところで、誰かのいたずらとか、鳥がとか、そんなんでもなかった。弁当は、ちゃんと布に包まれてて、腐ったにおいがしたり、ヤバそうなかんじじゃなかった。おいしそうなくらいだった。――けっきょく、俺はそれを食べなかったんだけど、どう思う? 食べたほうがよかったのかな。それとも、やっぱり食べなくて正解だったのかな。俺、食べ物を前にするとあの時のことを思い出して、ほんとうに時々、分からなくなるんだよな」
「――ちょーっと待ってくださいね。整理します」
 イズミは一度手を上げて俺を制止してから視線を外し、しばらくの間考えていた。
 突拍子もない話を整理しているのか、手を動かしたり指を動かしたりもした。
「うーん」
 立ち上がって俺の足元のほうへ手を伸ばし、壁との間に挟まっていたトトロを救出して、また胡坐をかいてその上にリラックマとトトロを並べて置いた。
 それから五分くらいの間考えていた。
 変な質問をした俺が悪いような気持ちになって、もういいよと言いかけたその時、彼は「うん」とぬいぐるみ達に頷いて結論を出した。
「この子たちとも話し合ったんですが」
 と、大真面目に彼は言った。
「コウさん、そのお弁当、いただいてもよかったんですよ。その時すごくお腹が空いてたんですよね? きっとそれ、神様がくれたごはんだったんですよ」



 正直に言って、俺がその場にいたとして、小学校の頃の俺にその弁当を拾って食えと助言するかと言えば、多分、しないだろう。
 でも英語でpennies from heavenという言葉がある。
 道に小銭が落ちていたら、それは神様がくれたんで、もらっておけ、ということわざだ。
 天から降ってくるものはほかにもある。
 偶然自分の前に現れるものは、自分へのギフトなのだと、彼は言ったのだ。
 俺はそれを、受け取ってもいいのだと。



 彼は俺の前にリラックマとトトロをもう一度置いて、挨拶をして帰った。
 彼が扉を開けた時にもう一度雨の音が強くなった。彼は傘を持っていたろうか。濡れて帰ったかもしれない。
 ずいぶん経ってから、俺は起き出し、台所に立ってコンロに火を入れた。
 刻んだ梅干しで味つけした雑炊がすぐに温まった。
 俺は座り込んでそれをいただいた。
 おいしいな、と呟いてみた。
 それから水を飲んで、着替えをして、歯を磨いて、ぬいぐるみたちと一緒にふとんにくるまって、眠った。


 雨は夜通し降っていた。
 夢の中でも降っていた。






(了)





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