XYXYXX (26) こうした苦いエピソードがあったにせよ、『蝶のつばさ』は、やはり「プール」にとって一つの転機となる作品ではあった。 狙ったわけではなかったが、2008年に同時多発的に見られた「問題提起」型の作品群の一つとして捉えられ、これまでよりも広範で「真面目な」観客や評論家の興味を惹くことになったからだ。 『蝶のつばさ』をきっかけにプールの劇評を書き始めてくれた批評家を少なくとも三人知っている。そのすべてが、最初の記事の中で「これまでも観てはいたが」「これまでの芝居とは違って」と、鑑賞はしながらも評価の対象として取り上げてこなかったことを告白していた。 さかのぼって過去作の捉えなおしへ発展している場合もあり、これはファンの間でも見られた現象だった。 とある素直すぎる客のブログ投稿記事を引用するとこういうことだ。 『あれっ? このプール、意外と、深い……???』 気持ちはよくわかる。 俺自身が同じように印象で判断するからだ。 なんなら俺自身が、始めた頃は「なんだこの商売は」「恥ずかしい」と思っていたのだから。 自分の勘違いや思い込みを正直に認めて見方を変えてくれた批評家や観客たちの勇気にむしろ感嘆した。俺だったら屁理屈をこねてきっとなかなか認めようとしないはずだから。 第八回公演『蝶のつばさ』が運んできたものはもう一つあった。 2009年の特別公演『ラジカル・キネティック・アワー』だ。 これはどういうものかというと、くだんの半井氏率いる劇団「白兎舎」と、スタッフキャストを混ぜ合わせた合同公演だった。 台本は半井氏が書き、演出部は俺とナラサチで担当した。キャストは完全に1:1で混合となった。 これは冒険だった。これまで他の作家の書いた芝居の演出をしたこともなかったし、客演さえほとんど招いたことがなかった。半井氏の台本はスクリューボールコメディで、登場人物の量が普段の倍、そしてものすごいスピードで進む話だった。 普段のプール/白兎舎の、抒情的な少女まんが/アート映画のような世界とはまた違った意味で、徹底した娯楽作品であり、俺は半井氏の多彩な能力に驚愕した。 あんな青春映画のような見事な芝居だけでなく、こんな密度の濃い、ひたすら楽しく小気味よい芝居も書けるとは。 もともと、俺はコメディが不得意だという自覚がある。 「これまであまり見たことのなかった乾作品が見たいと思って」 という微笑みから出発して、こんなクオリティのものが作れてしまうのは憎らしさを通り越して白旗だった。 冗談ではなく、今も俺は半井氏は当代随一の劇作家だと思っている。 正直、企画が持ち上がって実際に本を読むまでは不安もあった。どうしても好きになれない芝居が来てしまったらどうしよう、と。 だがそういう心配は一瞬で消し飛んだ。俺は頬をはたかれ夢から醒め、与えられた最高の台本を最高の舞台として立ち上げるために全霊を打ち込んだ。 合同公演というのは面倒だが、やはりやる価値はある。 スタッフ達もこれまでとは異なる環境や材料に刺激を受け、はっきり劇団全体が活気づいた。 稽古場も半分ずつ手配したので、江東区とか中央区のこれまで使ったことのなかった稽古場も経験出来て面白かった。 半井氏は当時京都のラジオドラマの脚本を執筆中で(さもありなん)忙しかったらしいが、時々稽古場に顔を見せて進行具合を見て行った。 彼女は細い、色の白い女性で、長い丈の無地のスカートをはいていることが多かった。加納とはまた違ったタイプのフェミニンな女性で、それでいて劇団員を叱咤激励するときなどは迫力のある、鋭い京都弁が飛び出した。プールの若手たちが彼女に魅了されて最後にはファンみたいになっていたが、無理もないと思う。 また「白兎舎」の役者たちもみなスマートでプロであり、俺は始める前に心配していたあれこれをすぐに忘れて、彼ら彼女らとの作業に没頭することができた。 芝居もほぼ立ち上がり、ゲネプロまで一週間を切ったころ、半井氏が通し稽古を見学にやってきた。 彼女は稽古を見終わった後、稽古場で目を線にして拍手した。 「おもしろい、おもしろい。最高!」 俺はこういうふうにストレートになかなか言えないのだが、胸の内では同じ気持ちだったから、誇らしさを抱くとともに、ほっと安堵したものだ。 半井氏はスモーカーだった。彼女に付き合って外へ出て、そこで話をした。 いい天気だった。 青空をバックにたばこをくわえたままセミロングの髪の毛をかき上げる彼女はまあ、格好良かった。 「最高ですね、プールの役者さん、スタッフさん。拙作をあんな舞台にしてくださって、ありがとうございます。本番が楽しみです」 「いえいえ、こちらこそ。本がとにかく傑作だから」 「うちの子たちも楽しそうにしてて、やってよかったです」 「いやーもう……、白兎舎の人にくらべたら、プールの役者はみんなコドモでねえ……」 俺は本気で恐縮していた。 何しろ、『プロ』という言葉が自然と湧いて出るような磨き上げられた役者たちの前で、ヒノデが遅刻し、台詞を忘れ、靴を脱ぎ散らかし、イズミに「ジュースー」と言い、小島におぶさり、そのくせパンフレット用の集合写真を撮影する段でははしゃいでいっとう目立とうとするのだ。 俺だけでなく、プールのほぼ全員が恥で死にそうになっていた。 「それがプールのいいところじゃないですか」 と、半井氏。 「……にしても程度がありますね」 「そうやって恥ずかしがっているところもいいところですよ。プールは図太いと思っている人も結構いるでしょうけど、実際にお芝居を拝見すると違いますよね。恥じらいがあります。わたしはそれが好きです」 と、通用口が開いてイズミがやってきた。両手に缶コーヒーを持っている。 「ナラサチさんに言われて差し入れにきました。どうぞー」 半井氏がとびきり深い笑顔を浮かべて一つ受け取った。 「ありがとう。イズミさん、演技素晴らしいです。私の芝居を楽しんでくれてありがとうございます」 誉め言葉に敏感なイズミは、首元から耳までの皮膚を一気にぱあっと赤くした。 「え、えへへ。ありがとうございます。出来がどうか心配だったんですけど、大丈夫でしたか」 半井氏は頷く。 「夢がかないました。自分の芝居を、いつかプールの役者さんにやってもらいたかったんです。『経糸/緯糸』のイズミさんを見た時から、ずっと夢だったんですよ」 「あははははは」 賞賛の積載値を越してイズミはあたふたし始めた。同業者からの評価に対する心の準備ができていないのだ。言いたくはないが、軽んじられていた時期が長いから。 彼は真っ赤になり、涙目で半井氏を見た。俺にコーヒー缶を渡したことを、意識していたかどうか。 「こちらこそ、光栄です。う、打ち上げにも、来てくださいね。メール送りますんで」 「はい。またそこでいっぱいお話させてください」 半井氏は微笑み、コーヒー缶を掲げる。 「ごちそうさまです」 いえいえ、これはその、ナラサチさんに言われたんで。お金とかも別に。どうも。と、壊れた機械みたいにうわごとを言いながら彼は引っ込んでいった。 なにもあそこまで動揺しなくてもいいのに。 半井氏が俺を見る。微笑みながら。 「かわいいですね」 俺も笑った。胸の中に、雨雲のような暗い感情が湧きたつのを感じながら。 ――稽古の間中、ずっと押し隠してきた。 最初に本を読んだ時に分かったのだ。『配役は誰が誰でもよい、任せる』と言われていたが、明らかにイズミに対して書かれた役がある、と。 際立ったマークや特徴があるというわけではない。しかし、その役が表現している人間性、言葉遣い、行動原理のベクトルが、あきらかに繰り返し伊積陽生へ向かっていた。そして、彼を、ヒーローにしていた。 客はこの芝居における彼を決して忘れることがない。そう分かる役だった。別に自己犠牲をしたり、格好のよいことをいうわけではない。でも、この芝居は彼の芝居でもある、とどうしたって印象付けられるようになっていた。 広く言うなら、半井氏のプールに対する愛情をもとに書かれた芝居なのだ。もちろん。そして彼女のプール愛を構成する大きな要素が、イズミに対する賞賛と憧れだと分かるのだ。 彼女はメールで書いていた。 『今作は、二次創作のようなものです』 それにしてはレベルが高すぎるので、誰もそうとは認識しないだろう。だが、彼女自身も認めるように、彼女はプール作品への愛から『ラジカル・キネティック・アワー』を作ったのだ。 そして俺はと言えば、二次創作者の彼女の理解と視座が時に一次創作者である俺を追い抜くことさえあるのに気づき、困惑したというわけだ。 俺よりもイズミを理解する人間が出てくるかもしれないという可能性。 違う。俺よりもイズミを理解する人間が、もう実際に出てきたという現実だ。 俺よりも彼を大事にする人間。 俺よりも彼の才能を称賛し、彼にもっと広いステージを用意する人間。 それは俺の胸の真ん中に大きな穴を穿ち、そこには暗いものがたまるしかなかった。 ――お前はいつもイズミをふさわしく扱ってきたのか? ――お前は彼をいじめたな? ――お前は彼を馬鹿にし、迷惑をかけてきた。 ――彼がお前よりも自分を大切にし、幸福にする人間の存在に気付いたら―― 彼だって。 離れるかもしれない。 小島のように。 劇団は何の保証にもならない。 お前が彼に言わない無数の誉め言葉。お前が彼にすることのできない無数の行動。お前が彼に書くことのできない無数の芝居。 こうして劇団が外の世界へ開かれていけば、彼もまた、自らのポテンシャルに目覚める。 友達も増え、俺のようにうじうじしている醜い人間などとつるまなくてもよくなる。 ――それでも、こうして素晴らしい本を用意されたら、俺は芝居を完成させざるを得ない。結局、それと分かった役はイズミに振った。そしてイズミは素晴らしかった。これまでのプールの芝居ではあまりフォーカスされることのなかった彼の、ネアカな部分、若くて躍動的で、ふざけていて楽しい人柄。それがみんなの目に触れ、愛されるに違いない仕上がりになっていた。 半井氏の表現したかった彼の素晴らしさ。 俺はそれを知ってそれを完成した。 同時に俺の胸に抱いていたこれまでの彼はもう、二度と戻らないとも思っていた。 ずっと抑えつけていた疑念が湧き上がってくる。 こいつは、イズミを、盗み取るつもりだったのではないか? 最初から? まるで、俺の頭の周りの村雲をありありと見でもしたかのように、半井氏は微笑んだ。 フタを立てて珈琲缶を開き、口を付けた。 「飲まないんですか?」 俺は何かがあるとすぐに食欲が無くなる。 「心配しないでも、大丈夫ですよ」 彼女は言った。 「ごめんなさいね。イズミさんのこと大好きなのは本当ですけど」 口は開いたが声は出なかった。 顔に血が上ってくるのが分かった。 飲む気も湧かないのにコーヒー缶を開いた。 「でも私、ハンデあるんですから。正々堂々といきましょうよ」 飲む気もないまま口に入れたコーヒーはばかげた甘さだった。 「ふふふ。これは、今度は逆バージョンでやらなきゃですね。わたしが不安になったり、心配になったりしないと、つり合いがとれませんものね」 「話は変わるんですけどね」 それから半井氏が別の話を始めた。 小劇場界に起きている変化のことだった。 最近、彼女は後輩の舞台を観に行ったそうだが、それが、声優の専門学校生によるものだったそうだ。 マンガのようなSFもので、はっきり言って水準は高くなかった。でも彼女が感じたのは、こういう芝居が増えつつあるということだ。アニメ声優志望の若者たちが、演劇界に増えている。 「悪いと言いたいんじゃないですよ。ただ、演技論とか、身体論が全く違う人たちが出て来てるんです。これまで高校演劇、大学演劇で使用されてきたテキストやメソッドを経ないで、別のものに則って芝居をするんですよ。これまでの演劇史とか、我々がしてきた挑戦には全く興味がなかったりします。――私、出身高校の演劇部の合宿に顔を出したりするんですけど、現役の高校生たちに聞いてもね、割と本気でお芝居観ていません。アニメです。声優さんにはとても詳しいです。芝居というと学校に来た劇団四季か、あとは吉本新喜劇と言われてしまって。だから話が噛み合わないんですよ」 彼女は苦笑する。 「でも、仕方がないですよね。無理に芝居見せても――興味がないんですもん。それでも合宿なんかだとまあビデオ見せたりエチュードで身体の使い方とかを勉強させますけど。この乖離は無視できないと思っていて。多分、10年たたないうちに、私たちの知ってる演劇界って全く違うものになると思うんですよ。――多分、アニメ文化との融合がすごく進むはずです。多分、ですけど」 彼女は手に缶を持ったままの間抜け面の俺を見た。 「私が心配してるのは、その時、私たちはどうなってるんだろうってことなんですよね」 彼女が俺と分かち合おうとしていたのは、「自分たちの文化の後の担い手がいなくなっているのではないか」という危惧だった。 あるいはいたとしても、ごく少数の、サロン的なものへ回収されて行ってしまうのではないかということだ。 今現在の状況を見れば、彼女がいかに早くから的確に状況を読んでいたかが分かる。 そして演劇は大衆文化であるので、いかに我々が、例えば2.5次元の舞台をさして「邪道だ」と騒いでみても無意味である。 人気があり、実際に興行が成功しているのだから。 歌舞伎などを見ても分かる。芸能は何でもありであって、観客に支持されるかどうかで成立するか否かが決まる。 もちろん、人気だけが価値ではない。研鑽を積んだ批評家によって正当に評価されるべき芸術作品というものも時代ごとに存在する。 ただ、この頃から、確かに観客の声をより多く拾って風向きを測ろうとする動きが増えてきたように思う。『大衆受け』『ブレイク』が大事だと思われ、各所でそれを誘引するための装置が設置されるようになってきたと言うべきか。 これも確か、半井氏から最初にメールで教えてもらったと思う。喫煙所での会話の少し後だ。 「乾さん、大ニュースです。ARCに勤めてる知り合いから聞いたんですけど」 彼女は顔が広い。 「再開するシアターARC演劇賞の選考要素に観客投票が追加されることになりました」 (了)
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