XYXYXX (28)



 告白する。俺は劇団の役者たちを甘く見ていた。
 このキャンペーンをして、改めて気づいたのだが、うちの連中は普通よりも騒がしい。耽美芝居などやってるからあまりそのイメージが前面に出ていないものの、実はやたら陽気で体力があって、時によっては恥知らずだ。
 イズミやヒノデはみんなで遊ぶゲームが好きだし、小島は器用で、テクノロジーとの親和性が高い(思えばすでにこの時点でi-PHONEがどうだとか言っていた)。和田は流行に敏感で顔が広い。そこに手ごわくも具体的な目標が与えられたものだから、みんな燃え上がった。
 アイデアが毎日、次々に出た。俺は芝居作りに忙殺されていたから、一週間後くらいになってやっと進化に気づいてびっくりするようなことがよくあった。
 例えば彼らは稽古中に「vote!」と書かれたスケッチブックを持って写メを撮って、それをブログに載せた。それをスタッフまで含めた全員でやった。俺もナラサチも持たされた。イズミの時は文字の周りをラメの入ったピンク色のシールでゴテゴテにしててすごかった。
 それが大体一周すると、今度は彼らは名刺サイズの投票呼びかけカードを作成して会うファンに配り始めた。役者らの写真画像はもちろん、手書きでそれぞれ異なるメッセージが入っているのだ。
 ブログでこんな呼びかけをしていた。
『全56種類! フルコンプしましょう!』
「オタクはコレクターが多いですからね」
 加納はそう言って眼鏡を光らせながら、たぶん無印の名刺ホルダーにカードを整理していた。
 彼らはそれをパソコンで自作した。制作スタッフと小島が中心になったようだ。
 それが出回るころにはさすがに、この『プール』の投票呼びかけ行動は小劇場界でよく知られるようになっていた。
「よくやりますねえ。まだまだ先なのに」
 と、あきれ半分、感心半分、揶揄の口調で言われることが増えた。
 俺も正直赤面することはあったが、耐える他なかった。はっきり言って、もう手の施しようがないくらい連中は暴走していた。
 今でも時々、俺は夜の山中に行って穴を掘り、そこに向かって「役者ども!!!」と、叫びたくなることがある。
 彼女ら彼らは、ちょっとやっぱり精神性が違う。人として積んでいるエンジンが違うというか。演技ができるだけで役者にはならない。私見では、一生役者をやるような人間には、ある種の欠陥も備わっている。
 とにかく、そういうことで、『プール』は第十回公演の練習期間からすでにフライング気味に「選挙活動」をしていた。だから冷笑されたわけだし、俺もしまった早かったなと思っていたが、他の劇団が10月や11月になって始めたのを見た時になってやっと、あれで適切なタイミングだったのだと分かった。
 12月の投票に10月、11月からでは遅い。
 それくらい俺たちは本気だったのだ。
 同業者たちに引かれたり、笑われたりする一方で、ファンたちは盛り上がり、そのにぎやかさはメディアの目を引いた。
 これまでとは雰囲気の異なる取材依頼が増えた。俺ではなく、役者に取材したいという要望も多かった。役者たちは自作のキャンペーングッズを手に喜んで応じた。俺もだんだん慣れてきて、「大人女子の愛されコーデ!」と特集を組んでいる雑誌の後半に、「VOTE」と頬に手書きでペイントされている小島とヒノデのキメ顔写真が載っていてもあまり動揺しなくなった(少しはした)。
 このメディア露出は実際に公演の始まった10月頭まで続いたが、これまでになく多量に、大小問わずに取材を受けたため、思わぬ副産物も生んだ。
 イズミの家族から、当人に苦情の電話が来たのである。



 彼がその電話を受けた時、たまたま俺も近場にいた。稽古場の休憩中に携帯への着信に気付き、彼がこう言ったのだ。
「あれ、タクくんからだ。珍しい」
 タクくん、とは彼の兄の名だ。歯科の勤務医だという。
 賢い兄は彼の誇りらしく、時々話を聞くので俺も覚えてしまった。
 マナーの良い彼は携帯を持って非常階段の方へ行き、しばらくして戻ってきた。
 表情が沈み、顔が真っ白になっているのに、みんなが気づいた。
「――どうしたの? 大丈夫?」と、和田。
 もう稽古が再開される時間で、みんな戻ってきていた。
 多分、イズミは「うん」と言おうとしたと思う。しかし言えずに、俯いた彼の目から大粒の涙があ、という間に床にこぼれた。



 なにが問題になったのかと、事務所で記事のストックを調べて、出てきたものを見て、俺も思わず「え? これ?」と言ってしまった。
 英文だ。
 最近、地域の無料ミニコミ誌が盛んだが、そのうち、新宿区で出されているものだった。記事自体は、長くもなく、どうということはない。第十回公演についてイズミが紹介し、観客投票を呼びかけているだけだ。
 ただ、おそらく、雑誌の雰囲気そのものが問題だった。明らかに新宿二丁目界隈を根城にする多国籍人向けの内容で、記事は、他の、例えばゲイ映画のレビュー。コミュニティメンバーの募集や新規出店情報に取り囲まれていた。
 全面英文で、しゃれた体裁のペーパーだが、英文が読めるなら、全体の雰囲気は見誤りようがない。
「……人づてに、父の目に触れたらしくて」
 事務所の中で、顔にタオルを当てて、イズミがつぶやく。顔が腫れるからと濡れたタオルだったが、涙はまだ止まらない。それで俺の動揺も止まらない。
「でもこれ、記事自体は別に普通じゃない? これで何が問題なの?」
「虹マークのついたぬいぐるみを持ってます」
「たしかに、そうだけど……」
 写真では、イズミが右手にvoteカード、左手に虹色のバンダナを巻いた小さなクマのぬいぐるみを持っている。
「だってこれ向こうが持ってきたやつでしょ?」
「――昔から、有名だったんで……。ぼく……」
 タオルの中に、うつむいたまま、か細い声で話すイズミの頭を、ヒノデが無言で撫で続けている。
 それは俺が知る限り世界で最も正しい行動だった。
「……小学校の時から……オカマだって……」
 俺はもう座っていたのに、体が大きく横に二回、揺さぶられるような感覚がした。
 地震でないのが不思議なくらいだった。
「地域で……、もう有名で……。父は、それが、すごく嫌いで……。父は、地元で、開業してるから……。だから、ぼくが出て……。父さんが……」
 イズミは顔を上げた。真っ赤になった目元と鼻を見せて、天井を仰ぎ、疲れたようにため息をついた。
「父さんが恥ずかしい思いをしないでいいように」
 彼の父の患者の一人が、悪気なく、これ陽生くんでしょうと持ってきたという。
 彼の父は怒り、――しかも直接イズミに言うのでなく、兄に対して、苦情を伝えろと命じた。汚いものを火ばさみで扱うようなやり方だ。
 俺は動揺し続け、倒れる寸前のコマのように思考がスピンして言葉さえ出なかった。
「でも、出たものはもうしょうがないじゃん。止めるわけにいかないし。しかも英文じゃ。言っちゃなんだけど、発行部数は少ないし、波及力はそんなにないよ。一番小規模なくらいでしょ」
「名前を変えろと」
「――え?」
「本名で活動するなと。迷惑がかかるから」



 気が付いたら、椅子を蹴って廊下に出ていた。行き先も分からないまま歩き続けた。暗い階段を下りて、道に出た。
 視界がグルグルしていた。額が熱く、こめかみの血管が膨れて頭がガンガンする。両手両足が震えている。ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。
 自分が動揺しているのではなく、激怒しているのだとそこで気が付いた。
 彼が、どれほど、苦労して――。彼は、どれほど、努力して――。彼はどんなに、素晴らしく、人を。彼が、どんなにすごい仕事をしてきたのか。
 まったく見ようとせずに。
 彼がどんな人間か関心さえ払わずに!!
 ものすごく小さな児童公園があった。そのベンチのそばにようやく立ち止まった。
 ああ。何もかも置いてきてしまった。蛾の群がる電灯を見上げる。
 熱に煽られてバタバタと飛び回る昆虫は自分のようだった。残像が焼き付くのも構わずにライトを見続けた。
 名前を変えろだと? ――今更無理だ。少なくとも十回公演のパンフレットはすでに作成されている。今回はこれで行くしかない。
 そもそも、そんな無茶苦茶なことを言われる筋合いはない。彼は伊積陽生で、名前を変える必要なんかひとつもない。誰に聞いても同じ答えだろう。
 ――それでも、彼は苦しむだろう。自分が家族を苦しめていて、その命令に従えないことに罪悪感を抱くだろう。そしてそれを隠すだろう。みんなに心配をかけたり、雰囲気を悪くしたくないと無理をするだろう。自分のために観客投票へのアピールが鈍ってはならないと板挟みになるだろう。
 どうしてあの優しいイズミがこんな無礼なことをされなければならないんだ?!


 感情の嵐が過ぎ去るのを待った。過ぎ去りはしなかったけれど。
 本当につらいのはイズミだ。
 俺は彼を支えなければならない。彼が素直に感情を吐き出せるように、俺は、冷静にならないと……。
 冷たい電柱に額をつけた時、金属の匂いがした。俺はこの匂いを一生忘れないだろうと思った。
 事実今も忘れていない。



 伊積陽生を失うということがどういうことか、劇団全員が思い知った時期だった。
 彼は明らかに彼らしさを失くし、稽古には出ても、同じスケジュールで過ごしても、外見が同じだけの別の人間になってしまったかのようだった。
 大丈夫かと声をかけても、答えは「ごめんね」だった。聞くことが彼を追いつめるので、聞くこともできなくなった。
 自分の一挙手一投足が、人の迷惑だと言われたら、どうやって生きていく? お前の存在自体が、家族の恥だと言われたら?
 もちろん俺は言った。彼を抱きしめながら、間違っているのは向こうだと。悪いのは向こうで、お前じゃないと。
 そのたびごとイズミは泣いた。
 それはそうだ。家族が悪いと恋人に言われるなんて地獄だ。
 自分で自分の家族は最悪だと言うのはいい。人に言われるのは違う。
 そしてイズミはどうしても家族が悪いとは認めなかった。どうしても彼は家族が好きだった。兄を尊敬していた。
 一体どうしろと言うのか。
 イズミは疲労困憊していった。これはまずいと、ナラサチの目が言っていた。外からどう見えていたかは分からないが、劇団プールはきわめて危機的な状態だった。



 俺はその日、ナラサチと一緒に事務所で書類仕事をしていた。
 稽古が終わった後で、もう午後11時頃だった。ナラサチが自分の携帯を見て、ふと席を立った。事務所の入り口あたりで、見覚えのある携帯を手に戻ってきた。
 本体と同じくらいの大きさのトトロのぬいぐるみがついている。イズミのだ。
「忘れてったの?」
「だって。今、小島氏からメール来た。コウ、持って返ってよ」
「わかった」
 役者たちは、ご飯に行くと言っていた。みな、なんとかイズミを支えようとしている。
 手はないからだ。このまま行くしかない。しかし――。
 思わずため息が出る。ナラサチが俺を見たが、何も言わなかった。書類の期限も待ってはくれない。作業に戻った。
 突然、机の上でイズミの携帯が震え始めて、俺らは二人とも飛び上がった。こういうことがあるたびに、寿命が縮むんじゃないかと真剣に思う。
 派手に光る、二つ折りの携帯の文字盤に名前が流れた。俺は目が釘付けになった。

―― vv タクくん vv ――



 認める。
 その瞬間、これまで無理やり抑えつけていた激怒が俺を襲った。俺は完全に良識や理性を失くし、携帯をわしづかみにし、ナラサチが止める暇もなく、通話ボタンを押した。
「――もしもし?」
 我ながら、自分史上最高に不穏な低音が出た。
 向こうが一瞬、無言になった。
 蛍光灯の白い明かりの下で、ナラサチが両手を口の前に充てていた。
『……もしもし? ……伊積陽生に電話したのですが』
 俺ほどではないが、低い、落ち着いた声が聞こえた。口調は平板で、整ってスマートな印象を抱いた。
「伊積陽生の携帯ですよ」
『では、すみませんが、どなたですか?』
「劇団のものです。彼、携帯を忘れていって」
『――ああ、じゃあ、後で本人にかけなおすように言ってください』
「そんな価値はないと思います」
 相手が、
『……はい?』
と答えるまで相当間があった。当然だろう。
「――彼の価値を分かっていないような家族と、無理して付き合って、ボロボロになるなら、絶縁したほうがいいと思います」
 ナラサチが息をのむ声が聞こえた。
 だが、俺は止まらなかった。
 あの電話以来、どれだけイズミが苦しんだか。どれだけ彼が傷ついたか。どれほど、生きることを邪魔されたか。
 彼は行く手を阻まれ一歩も先へ進めないでいる。
 こんなこと、家族であっても許されることじゃない。
「彼は、努力家で、才能豊かで、優しくて、劇団の中心メンバーです。どれほど多くのファンがいるか知っていますか? ――何も知らない人たちに、なめられていいような、そんな人間じゃないんです。――俺たちは、とても腹を立ててます。あなたがたに。あまりにひどいから。どうしたらいいんですか」
 俺はもう自制が効かなかった。噛みつくように吐き出した。
「どうしろと言うんです?! ――別のものになれと!? 一生隠して、穴蔵の中で生きろと?! 少しでも日の当たる場所で活躍したら今度は、迷惑だから、他人のふりをしろと?! ――そんなことを自分が言われたら、どんな気持ちがするか想像もできないんですか。こんな真夜中にいやがらせみたいに電話して――人は、時には死にますよ! こういうことが続けば!! これ以上、彼が傷つけられるのは許せない!!」
 上半身と下半身が、別々に震えていた。こんなに怒りにとりつかれたことはなかった。ものすごく冷静な自分が、俺は怒りの上乗せをしているのではないかと考えていた。
 自分が受けた仕打ちに対する怒りが、呼び覚まされて混合しているのではないか。
 でも、――間違ってはない。と思った。
 こんなことをされたら、怒って当然だ。俺は怒っていい。彼も怒っていい。我慢なんかすることはない。後は、どうなろうとも。俺は絶対に許さない。
 沈黙の中で、通話時刻を示す数字が、音もなく、進んでいった。
 それはまるで通話そのものが生きている動物だとでもいうようだった。
『……もう一回聞きますが、あなたは、どなたですか?』
「関係ありますか? 俺が何者であるか! 俺が誰であろうとあんたたちの――」
『それはあるでしょう』
 低い声は、笑みを交え、だが落ち着いて主張した。
『あなたが正義感に駆られた同僚なのか。それとも、弟を守ろうとしている深い仲の恋人なのか。それは――、兄として、関係があると思いますよ』


 初めて俺の怒りに雫が降った。
 水。プール。火を消すもの。潤し、濯ぎ、育むもの。
 天から落ちるもの。






 劇団プール第十回公演『CROWN』の初日。イズミの兄と、母親が見に来た。
 イズミは公演が終わるまで、まだ信じられないような顔をしていた。舞台上から招待席が見えたかどうかは知らないが、終演後、ロビーに挨拶に出る時も、まだおどおどしていた。
 だが人ごみの中で母親がひとたび振り向くと、瞬時に俺の後ろから駆け出して彼女に抱き着いた。
 身長ははるかに高いのに、その体は、彼女の中にうずもれるように見えた。
「ハルちゃん、ごめんね。――ごめんね」
 イズミは答えなかった。ただ、彼女の胸の中で、幾度か首を振っていた。
 イズミは母親似だった。いつかのカーネーションの赤を思い出しながら、俺は初めてイズミの兄と顔を合わせ、互いに会釈した。
 趣味の良い服を着た、清潔な印象の男性だった。俺もジャケットだが、値段が全然違うに違いない。眉が少し彼に似ていた。
 俺たちはぎこちなく、肩を並べて立った。俺の方が少し背が高い。向こうの方が筋肉質でがっしりしている。ジムにでも通っていそうだ。
「――ちょっと意外でしたね」と、彼。
「?」と見やると、
「全体の雰囲気はなんか、ああ、知的で弟が好みそうだなって感じですが。銀髪とは思わなかった」
「数日前に染め直しましてね」
 決戦だ。と思って。
 理解したのかしないのか、相手は小さく笑った。それから言った。
「……昔から、弟は、他の人と違っていて」
 彼はロビーに並んだポスターに写る、はかなげな花のようなイズミを、一枚一枚、目で追った。
「心配してました。どんな人生を歩むのか、全然分からなかった。分からなかったから、その話題に触れるのが怖かった」
 ロビーに溢れるスタッフとファン。一角には贈り物の花々。一般人にも名の知れた人からのものも混じっている。
「……無責任なことを言うようですが、弟に仲間とか、ちゃんとした相手がいると分かって、ようやく会いにこれた感じです。僕たちには何もできないと、昔から分かっていましたから」
 俺は文句を言うべきだったのかもしれない。
 でも、最初の電話以降、俺の話を聞いて、イズミとも話して、約束を守って母親を説得し、共に観劇に来てくれた彼の言うことを、その日は黙って聞いた。
「父はね、無理です。小心翼々とした、プライドの傷つきやすい人なんで」
 黙っていたら彼が続ける。
「マイナーカットでも大騒ぎですよ。ちょっとしたことで興奮して母に当たり散らしてね。だからずっとおとなしくしてました。僕も弟も、学校でいじめられても何も言わなかった。――だから今回も、父を刺激しないよう、ちょっと工夫すれば収まるかと思いました。芸名くらいは大したことはないだろうと。弟も同じ意見だろうと思って連絡したんですが。違ったんですよね」
 彼は俺を見た。
 表面的には平静さを保つ瞳の奥に、なんとか理解し、馴染もうと戸惑う光が、まだあった。
「――言い訳をするようですが、昔の陽生だったら、すぐ名前を変えたと思います。きっとバカげた名前をつけて、笑ったでしょう。間違いないです。だから僕にしたら、最初の電話の消極的な反応からして意外だった。それから、あなたのものすごい怒りでやっと分かりました。あの陽生が――もう、簡単に退くような人じゃなくなったんだなって。媚びるように笑って、場を納めるためにすぐ譲歩するような、そういう人間じゃなくなったんだ。写真に映った彼も、自信に満ちてた。レインボーマークのついたぬいぐるみを手に、まっすぐ前を見て、笑っていた。
 仲間がいて、居場所ができて、恋人がいて――そうかもう、昔の弟ではないんだ。立派な大人になっているんだ。自分たちはそれを知らずに、昔と同じつもりで、彼にふさわしくないことを言ったんだって」
 やはり俺の顔には消せない不快の情が残っていたのだと思う。彼が俺を見て笑ったからだ。
「分かってます。あなたがどれくらい弟を尊敬してくれているか。今日のお芝居を見ても、ロビーを見ても、伝わってきました。あると思いませんか、誰かが深い尊敬を捧げているのを見て、初めて、その人の価値が分かるっていうこと。僕らが鈍いと言ってしまえば、それまでですが」
 俺が息を吸いこむために口を開いたその時、母親との長い抱擁を終えたイズミが兄へと襲い掛かった。
「たっくーん!! 来てくれてありがとー!!」
 抱きしめられた兄はよろめいた後、弟の肩を叩いて照れたように笑った。
「かっこよかったよ、陽生」
「ありがと! でも、かわいいって言って!」
「きれいですごくかっこよかったよ。体が変わったね。鍛えたんだね」
 俺も結局言葉は発さないまま、心の中でそうだ、と言った。
 イズミは、きれいでかわいくてかっこいいのだ。
 これまでもそうだったし、これからもずっときれいでかわいくてかっこいいのだ。愛され尊敬を払われるべき人間だ。
 もしまだそれ分っていない奴がいたら、――また彼を見くびるような奴が出てきたら、どんな手を使っても、俺がそれを分からせてやる。



「やっぱり、タクくんと話してくれてたよね?」
 その夜、俺のアパートで、さすがにイズミからそう言われた。
 それまで直接電話で話したことは言わなかった。イズミから聞かれてもとぼけていた。
 俺は黙って彼を見た。
 彼はしばらく、星の散らばる眼で俺を見ていたが、なんだか、男らしい口調で言った。
「俺もう、隠さないね」
「ん?」
「カップルだって、隠さないね」
 半開きの口にキスされた。
「別に、バカみたいにベタベタはしないけど、普通にするね。そのうえで、みんなにお願いするね」
 彼は微笑んだ。
「Vote」




(了)





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